【マリーの部屋とクオリア】赤い色が赤である「感じ」を言葉で説明できますか?【思考実験】

世の中には知識としてインプットしているものとは別に、体験によってでしか得る事のできない「感じ」があります。

クオリア、という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

日本語では「感覚質」と訳されるのですが、つまりはあらゆる主観的な「感じ」の事です。

今回ご紹介する思考実験「マリー(またはメアリー)の部屋」は、そのような「知識」と「体験」との埋められない差、そして物理学的知識の限界をも考えさせられるとても面白い思考実験です。

まずは「マリーの部屋」のお話を読んでみてください。

マリーの部屋

マリーはとても頭の良い科学者で、この世界のあらゆる物理的な事象についての知識を持っています。

赤色というものがトマトや血の色であることも知っていますし、光が反射して目に入り人が色を認識できる仕組みもしっています。

ただ、マリーは何らかの事情で白黒の部屋に住み、一度も外の世界を見たことがありません。

さらに部屋にあるテレビも白黒で、つまるところマリーは一度も「色」に触れたことがないのです。

トマトの色も血の色も赤であるということは知っているのですが、その赤がどのような色合いなのかは知らないのです。

さて、ある日マリーは突然解放され、色とりどりの世界を見ることが許されました。

この世のあらゆる物理的事象についての知識を持っているマリーが、色の付いた世界を見た時に何か新しい事を学ぶのでしょうか?

マリーの部屋が問いかけるもの

あらゆる知識を持っているということは、一見それ以上ない至高の状態であるような気もします。

しかし、おそらくマリーは初めて「色」の「感じ」を体験した時、物理学的用語だけでは決して語る事の出来ない「感じ」を経験するはずなのです。

その「感じ」こそがクオリアと呼ばれているものです。

赤色がトマトの色であり、血の色であることは知識として知っていても、「赤色の感じ」は説明することが出来ないと思います。

「だって赤は赤だよ!」

と言うしかないでしょう。

しかし、ある人にとってはもしかしたらこの色合いが赤と感じているかも知れません。

トマトも血も、その人にはこの色に見えていたとしたら……。

そして、その人にとっては産まれてからずっと、この色が赤なのですから、生活する上での問題は何も起こらないのです。

ただ1つ、他の人が感じている赤色と、その人が感じている赤色が違う、というだけなのですから。

クオリアというのは、そのように言語化するのが極めて難しい「感じ」のことなのです。

そしてこのクオリアというのは、物理学的な知識で全てを説明しうる、と考えている人にとっては大敵です。

マリーの部屋が投げかける問いも、まさに「物理学的知識だけで世界は語れないのではないか?」ということも問いかけているのです。

面白いですよね。

この世で起こる出来事は物理的に起きていることですから、当然物理的説明が可能です。

しかし、自分の中で起きている「感じ」が物理的に説明できないのですから。

クオリアを説明する上で代表的なものを他にも挙げてみます。

音楽のクオリア

音楽が人の心に強く影響を及ぼすことは誰でも知っていることかと思います。

しかし、悲しい曲を聴いた時の「悲しい感じ」や、明るくアップテンポな曲を聴いたときの「ウキウキワクワクする感じ」は説明が難しいです。

例えば脳波計や心電図を使って、心拍数が増えたとか、脳のどこどこが活発に動いて〇〇波が多く出てる――などまではわかるかも知れません。

しかしやはり人が感じている「悲しい感じ」をしっかりと説明することは不可能なのです。

痛みのクオリア

痛みにも様々な痛みがあります。

医者に掛かっている時などは「どんな痛み?」と聞かれることが多々ありますが、これも言語化するのって凄く難しいですよね。

虫歯の時の嫌な感じの痛みと、切り傷などが出来た時の痛みはやはり違うのですが、じゃあ正確に説明してよ、と言われても説明できません。

ズキズキ、とか、ジリジリ、などといった抽象的な擬音で説明する事しかできなくなってしまうのです。

触覚のクオリア

手で触った時の感覚、何かで身体に触れられた時の感覚もまた、しっかりと説明することが難しいです。

滑る物体の上を撫でて「ツルツルしてる」とか、地面を撫でて「でこぼこしてる」とか、あくまでも僕らは「基本的にはそういわれることの多い表現」を使って触覚を表現します。

しかしその「ツルツルしてる感じ」を正確に抽象的な言葉を使わずに伝えるのは、恐らく無理なのです。

それもまた、人それぞれ違う主観的な「感じ」であるからです。

嗅覚のクオリア

臭いもまた説明することが難しいクオリアを持ちます。

よく、「ドルガバの香水の匂いで思い出しちゃう」みたいな話を聞きますが、特に匂いは人によって異なる「感じ」を感じるのではないでしょうか。

懐かしい「感じ」、なんて言われても困っちゃいますから。

逆に、それをいかに素敵に表現するか?という点で作家であったりライターの腕の見せ所にもなっているわけです。

まとめ:マリーの部屋が提示する、最も近い場所にある説明不可能な事象

僕はこのクオリア的な話が大好きです。

すごく不思議ですし、最もよく知っているはずの自分自身の中に科学的に説明の出来ないナニカがある、というのがとても面白く感じるからです。

僕の感じる「面白い感じ」もまた、説明できませんし。

ぜひあなたも、このマリーの部屋の主人公の気持ちになって、思考実験してみて下さい。

全ての知識を持っていても、新しく見る色のある世界というのは学びを与えてくれるのかどうか?

最後に、実際に色のある世界を初めて見た人々の、心温まる動画を貼っておきますので、色のある世界を見れている「当たり前」がいかに素敵なことであるか、噛み締めてみてください。


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