植物との会話はできない? 植物の心について最低限知っておきたいこと。 

ドラセナ

植物に心はあるのか?

これは未だ解明されていない大きな謎の1つです。

以前僕は樹木と会話をして、バイトで荒んだ心を癒していた経験がある、と書きました。

記事内では、

それは普通に考えれば僕自身の頭で作り出された声であり、樹自体が話すことなどありえない。けれど、それでも癒しをくれたのだからそれでいいのだ――。

という結論に至りました。

しかし世の中には多くの植物についての不思議があります。

そして、植物にも命があり、生きています。

心というモノが非常に特殊で、人間にしか備わっていないとは言われますが、果たして本当にそうなのでしょうか?

今回は最低限知っておくときっと植物への見方が変わる、植物の心についてです。

植物に音楽を聴かせるとよく育つ、という話の謎

「植物には音楽(特にクラシックなど)を聴かせるとよく育つ」

という話を耳にしたことはありませんか?

植物には心があり、音楽も好き。

特に美しい音色のクラシック音楽を好むから、聴かせるならなるべく美しい音楽がいい。

つまりはそういう風に思いたいが為のウワサだとは思うのですが、この件については実に多くの研究者が様々な実験をしています。

ネットで「植物 音楽」とでも検索してみればきっと沢山読むことができると思うので、興味がある方は是非調べてみて下さい。

――僕が植物と音楽の関係について読んでみてわかったことを簡単にまとめますと、

・研究はどんどんされているが解明はされていない。

・音楽が出す周波数が植物の生育に影響を与えている可能性が高い。

・クラシック音楽は比較的高い周波数、ロックなどは低めの周波数であることが多く、それが成長速度に関係している可能性がある。

・心があるというよりは、単に周波数が作用しているだけの可能性が高い。

といったところでしょうか。

もちろん、完全に解明はされていないので、もしかしたら今後「やっぱり心あった!」となる可能性もあります(が、心とは何ぞ?という定義自体があやふやなので難しそうですが)。

クラシック音楽が良い――という点については、きっと何となく高い周波数を使う楽器が多いからだろうな、と予想していた人もいるはず。

どう考えても植物が「美しい・美しくない」の判断をしているとは思えませんから。

そうなると、ロックとクラシックの差は、ベースになっている音の高/低の違いだろうなと想像できます。

植物を撫でて愛情を注ぐと良く育つ?

植物を撫でてしっかり愛情を注いであげるとよく育つ――という話も聞いたことがありませんか?

そう、植物は撫でるという行為にしっかり応えてくれるのです

しかし、それが「よく育つ」ことになるかはわかりません。

植物生理学という分野があります。

その分野では植物の仕組みを扱うのですが、人が植物を撫でたり、あるいは傷つけようとした場合には植物はしっかりその行為に対して反応します。

刺激形態形成反応と呼ばれるもので、例えばとある植物を折ろうとして茎の部分をぐにゃあ、っと曲げたとします。

するとその植物は「折られてたまるか」と、なんとか太い茎にしようと成長するのです。

書いてしまえば実にシンプルな、植物の「生きようとする力」が働くのです。

ただ、撫でるだけでは危険とまではいきませんよね。

しかし、植物は撫でられ、刺激されることでストレスを感じます。

そのストレスが成長を促進させるのです。

ここでいうストレスとは、人間が一般的にイメージするネガティブなストレスとはちょっと違うもので、あくまでもちょっとした「負荷」のようなものだと考えた方がしっくりきます。

植物にとっては「イヤだなぁ」と思うわけではなく、単に刺激される事で負荷がかかり、より強くなろうとする自然な成長なのです。

実は普段僕らも食べている野菜や果物でも刺激形態形成反応をうまく活用しているものは多いのです。

あえて過酷な環境下で育てることで甘みを強くしたり、一般的でない栽培方法をすることで太く大きく作ったりすることで希少価値を出す野菜や果物がそれに当たります。

そう考えると、植物にストレスを与えるということは特に悪さをしているわけでもありませんし、よく育つ(可能性がある)のですからどんどん愛でて触って撫でちゃっていいと思うのです。

植物が喜んでいるかどうかは別として(心が無ければ喜びようもないですが)。

植物の心の証明か? バクスター効果

植物にはやはり心があるのだ!

ということを証明するかのような、バクスター効果というものをご存知でしょうか?

これはクリーヴ・バクスターというポリグラフの専門家による驚きの実験のことです。

バクスターはポリグラフ研究所での仕事中、室内に観葉植物としてドラセナの鉢があったことで、このドラセナにポリグラフを繋ぎ、組織内の水分の動きを分析しようと思いついた。作業を続ける中、ふとドラセナを燃やしてその反応を試そうとしたところ、バクスターがそう考えただけで何も行動していないにもかかわらず、ポリグラフは突如強い反応を示した。ほかにも人間や動物の挙動への植物の反応を検証し続けた末に、「植物は他者の思考を読み取り、感情的に反応している」との結論に至った。

wikipwdia:バクスター効果より引用

簡単にまとめれば、

ドラセナに繋いだウソ発見器が「燃やしてみようかな」とバクスターが考えただけで反応した。あれ?これは植物に心があって、しかも人の心読むんじゃね?

ということです。

確かにこれが事実であればとても面白いことです。

植物が人の「悪意」を読み取り、反応したわけですから。

しかし、残念ながらこのバクスター効果は否定されています。

特に2007年にディスカバリーチャンネルが企画として検証した結果が信憑性も高く、それによるとバクスターが使用したウソ発見器を用いると確かに植物は反応したのでそうですが、最新の脳波計を用いて実験したところそのような反応はなかったのだそうです。

これにより、バクスターの用いたウソ発見器は、アナログ機器であるが故に不安定であり、バクスター効果とはその不安定さが起こした揺らぎである――という結論がなされました。

残念ながらバクスター効果によって植物の心がある、という主張は脆くも崩れ落ちたのです。

やはり植物に心はないのでしょうか……?

樹木同士が会話する? ポプラの樹の実験

少し参照した記事自体が古いのと、似たような実験についての情報が見つけられなかったのですが、とても面白い実験なので紹介しておきます。

それは、ポプラの樹による不思議な実験についての記事です。

植物の心についてリンク

↑こちらの記事では、1980年代にアメリカの科学者2名が行った実験について書かれています。

引用すると、

1980年代、アメリカの2人の科学者、ボールドウィンとシュルツがある実験を行いました。実験は若いポプラの木に繁る葉のうちの二枚を破るという簡単なものでした。その結果、不思議なことが起きました。同じ木に付いている他の葉のタンニンの含有量がぐんと増えたのです。タンニンはお茶や渋柿などに含まれる苦い物質で、葉っぱを食べる昆虫が嫌うもの。葉を食われたと勘違いしたポプラが、他の葉を害虫から守るためにタンニンを作り出したのです。さて、不思議なのはここからで、実はそのとき近くにあったポプラの木でも同様の現象が確認されました。被害にあっていないのに、葉に含まれるタンニンの量が増えたのです。なぜか? 考えられるのは、葉を破られたポプラの木が周囲にSOSを発して、仲間の木に「タンニンを増やして虫から身を守れ!」と伝えたのだろうということです。

植物の心についてより引用

とあります。

まとめると、とあるポプラの樹の葉を2枚やぶったところ、その樹のタンニンの量が増えました。

不思議なのが、なんとその樹だけでなく、近くに生えていたポプラの樹までもが同じようにタンニンの量が増えた事が確認されたのだそうです。

つまりは、何らかの手段でポプラ同士が意思疎通のようなものをして、「虫が多くいて葉っぱがやられるからタンニン増やせよ」と教え合ったのではないか?ということです。

一体どうやって?

繋がっているという意味では、樹の根っこが絡み合っていたり、あるいは同化してしまっていて、同じような反応が伝播した可能性はあります。

もしそうでなければ、空気中を何らかの物質を飛ばし合い意思疎通をしているとか、あるいはもう人間のようにコッソリ喋っているのかも知れません。

※ポプラは綿毛を飛ばす事でも知られていますので、まさかの綿毛通話した可能性も……?

まだまだ謎だらけですが、もしや植物に心が?と考える上では非常にワクワクする謎ですね。

まとめ

植物に心がある、というのは正直怪しいということはわかったかと思います。

音楽を聴くと良く育つのは周波数が影響を与えている可能性が高く、

撫でるとよく育つのは刺激形態形成反応であり、

バクスター効果は機械の揺らぎが原因であった。

しかし、最後にご紹介したポプラの樹の実験は何らかの形で植物同士が意思疎通している可能性も捨てきれず、夢のある謎多き実験でした。

植物に心はないのか?

非常にあいまいで証明の難しい問題だとは思いますし、科学的に言えば「組織の構成上あり得ない」という回答がほとんどでしょう。

それでも、過去に僕が話しかけていたように、会話することが絶対に不可能だとは僕は思いません。

それはつまり「人の心次第」とも言えますし、話せると思えば話せるものです。

今僕が働いている職場には、まさにバクスター効果で出てきたドラセナが観葉植物として置いてあります。

最近他店舗から「いらないし枯れそうだから」と譲り受けたものです。

毎日毎朝、出勤すると僕は軽く撫でて、おはよう、と声をかけています。

そのせいかどうかはわかりませんが、来た当初に比べてかなり良い色になってきました。

心のあるないにかかわらず、人の愛情にしっかり植物は応えてくれるものです。

科学云々に囚われず、植物に音楽を聴かせ、撫でて育ててみて下さい。

植物と話せたような気がする――その感覚こそが大切であり、人の心というものが説明できないのと同じように、そもそも植物の心など証明しようがないものですから、あるかないか、を考えること自体が野暮な事かも知れません。

あると思えばある。

それが心なのではないかと、僕は思います。

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